更新日:2021.7.18

迷想室とは

勝手な思いを気ままにつづる部屋です。

マインドマップ 最強の教科書を読んだ(2020.12.11)
マインドマップについて検討した(2020.11.30)
「新・脳の探検 上」を読んだ(2020.6.10)
「受動意識仮説」について(2019.3.27)
「意識をめぐる冒険」を読んでみた(2018.12.6)
「フセンで考えるとうまくいく」を読んでみた(2018.9.19)
またやってしまった(2018.9.2)
札寄せ用具の兄弟分「ふだメモ」(2018.5.19)
感情に意識は必要か?(2017.12.24)
意識がなくても個性はある(2017.12.18)
意識のない喜怒哀楽(2017.12.18)
意識は不思議(2017.11.25)
人間の思考と機械の思考 (2017.10.30)

迷想
マインドマップ 最強の教科書を読んだ(2020.12.11)

マインドマップと札寄せ法の比較を進めるために、マインドマップ 最強の教科書を読んだ。
原著は2018年に出版されたトニー・ブザンの「Mind Map Mastery」。

今まで読んだトニー・ブザンの本とは、雰囲気が違っていた。
マインドマップを効果的に使うには、描き方の原則があり、それに従って描かれていないなら「マインドマップ」ではないのだ、ということが強調されていた。

監修者あとがきにも
『「本物」のマインドマップのかき方や「まがい物」の見分け方にかなりのページが割かれ、「ニセ物」に遭遇したときのやるせない思いが幾度となく繰り返されている。』と書かれている。
更に
『かき方にこだわるのは、法則に従ってかく「プロセス」自体が「脳トレ」になり、マインドマップの見栄えがよく、視覚に訴えるほど効果も大きいことを改めてしっかりと伝えたいからだ。
絵や記号を使おうとしたり,想起のきっかけとなるキーワードを絞り込もうとしたりすることで、とくにイメージ力が鍛えられ、記憶力や読書力と読解力の向上など、副産物も生まれる。』と書かれている。

札寄せ法は、札同士の関連性を考えて札を動かす動作や、線で札同士を結んだり、グループとして複数の札を囲むことなどが、発想を促す効果となっている。
これに対してマインドマップは、絵や図、色や線の形、更に書く内容を単語に絞り込んで書き込むなどが、発想を促しているのだろう。
マインドマップ用のソフトウェアが数多く出回っているが、「本物」のマインドマップを描くのに役立ちそうもないものが多いように思う。

マインドマップについて検討した(2020.11.30)

マインドマップの名前は以前から知っていて、10年以上前にはトニー・ブザンのザ・マインドマップを読んだことがある。
その時は、興味を持たなかった。

しかし最近になって何故か興味が湧いて、昔読んだザ・マインドマップを読み返し、更にトニー・ブザンの本を3冊読んだ。
仕事に役立つマインドマップ
ザ・マインドマップ[ビジネス編]
新版ザ・マインドマップ
そして分かったのは、マインドマップと札寄せ法は使用目的が同じだということ。
図を書く過程で気付きを得たり、納得したりすることが多く、書きあがった図には必ずしも答えが現れているとはかぎらない、と言うことも共通しているように思う。

しかし出来上がる図は、似て非なるものであり、作り方も全然違う。

マインドマップでは、中心に3色以上使ったカラフルなセントラルイメージを必ず描く。
そして幾つかのメインブランチをセントラルイメージから放射状に描き、それに沿って基本アイデア(キーワードまたはキーイメージ)を書く。
基本アイデアを決めてから連想を始める。メインブランチからサブブランチを延ばし、次々に連想してブランチに沿って単語を書く。
マインドマップには札のようなものは無く、木の枝のようにブランチが広がっている。

札寄せ法では、発想したことや、得たデータについて、一つの事柄を一枚の札に文で次々に記入する。
文を記入した札をでたらめに配置してから、全体を見渡して各データ同士の関連性をもとに札の配置を変えていく。これを札寄せと呼んでいる。
必要に応じて複数の札を枠で囲ったり、札同士を線で結ぶこともある。
セントラルイメージも基本アイデアも描かない。

どちらの方法が良いというのでもなく、どちらかでやって良い結果を得られなければ、もう一方の方法でやってみることも役に立つかもしれない。

これらの違いは、図考室でまとめてみたいと思う。ーー>まとめたマインドマップと札寄せ法の違い(2020/12/24)

「新・脳の探検 上」を読んだ(2020.6.10)

新・脳の探検 上」はサブタイトル「脳・神経系の基本地図をたどる」が示すように、脳と神経について詳細に解説されている。
この本は原著の文章も翻訳も秀逸で、違和感なく読める日本語になっていて非常に理解しやすい。
あらためて、脳と神経系の素晴らしさを認識した。
そして、この複雑で精巧な仕組みができていることの不思議さと、それを享受できている有難さを感じた。

「受動意識仮説」について(2019.3.27)

「脳はなぜ「心」を作ったのか」「ロボットの心の作り方」「脳の中の「私」はなぜ見つからないのか?」を読んだ。
これらの本と論文では、意識について「受動意識仮説」を軸に書かれている。
著者は、日本創造学会副理事長でもある前野 隆司さん。私も会員になっている学会だ。

読もうと思ったのは、クリストフ・コッホの「意識をめぐる冒険」の時と同様に「自分の意識は、どのような仕組みでできているのだろう」という疑問の答えに近づけそうな気がしたからだ。

前野は、受動意識仮説を提案していて、次のように説明している。

「無意識というシステムは、部分部分のモジュールが独立してそれぞれの特異な情報処理を同時におこなう超並列計算機である。四方八方のモジュールから湧き上がってきたさまざまな自律分散的処理結果のうち、特に目立つもの(たとえば発火頻度が高い神経集団が生成した情報)が民主的に選び出されまとめられて、意識に転送される。」
そして「意識という機能は無意識的情報処理を受け取って、あたかも自分が注意を向けて自分の自由意志でおこなったことであるかのように幻想体験し、その結果をエピソード記憶に転送するだけの、受動的・追従的な機能を担うシステムである。」
更に、「意識の現象的な側面は、幻想のようなものである。」としている。

別の場所では、「「意識」とはワーキングメモリの特殊な状態の一つであり、「無意識」下の処理を必要最小限に単純モデル化し、エピソード記憶として保存するために存在していると考えるのである」という記述もある。

「解剖学的ないし生理学的知見によれば、クオリアを作り出せる器官は脳のニューラルネットワーク以外に考えられない」という記述もある。

「「意識」の座が見つからない問題は、現在の技術が脳内の小さな「意識」システムを検出するほどには高精度でないために発見されていないに過ぎないと考えることができる」とある。

私も、意識に現れる思い・感情・考えなどは、無意識に行われている自律分散的処理の結果の一部であろうと思っているので、その部分では受動意識仮説に賛成だ。

しかし、「意識」はエピソード記憶をするためにあるというのは、素直には賛成できない。 明確に否定もできないが。
前野は、

「鳥類と哺乳類あたりが意識を持っているだろうといえそうだ。」と書いている。 その理由は、「エピソード記憶をしない動物には、「意識」は必要ないからだ。」としている。
エピソード記憶は生物の進化の過程でできた機能なので、昆虫などの単純な生物はエピソード記憶しないので「意識」を持たないのだそうだ。

私は、昆虫や植物でさえも、もしかしたら意識を持っているかもしれないと思っていたので、根拠はないが賛成したくないと言ったほうがいいかもしれない。
エピソード記憶ならコンピュータでもできるのではないかとも思う。

クオリアは脳のニューラルネットワークだということについても、そうかもしれないが神経細胞の他にも関与している細胞があるかもしれないとも思う。
ニューロンネットワークは多くの神経細胞がシナプスで接続された、言わば有線ネットワークだ。
例えばほかにも、直接つながっていないグリア細胞のような脳細胞との無線ネットワークができているようなことはないのだろうかとも思う。どのような原理の無線なのかは、まったくわからないが。

「意識をめぐる冒険」を読んでみた(2018.12.6)

「意識をめぐる冒険」を読んだ。
「序」には、「この本には、意識の脳科学研究における最先端の成果と、今後の意識研究の方向性がコンパクトに書かれている」とある。

確かにその通りの内容だったが、それに加えて著者であるクリストフ・コッホの個人的な生い立ちや現在に至る生活なども書かれていて面白かった。
「自分の意識は、どのような仕組みでできているのだろう」という疑問を持っている私にとって、その答えに少しでも近づければという思いがあった。
現時点では、正解が出ていないことは承知のうえだ。

コッホの現時点の仮説は、
「主観的な経験は、ある脳の領域の活動が全体として上がったり下がったりすることから現れるわけではない。重要なのは、ニューロンの集団レベルでの挙動だ。
ニューロン集団が連合を作ったり、それを解消したりすることで、外界のさまざまな事象や頭の中の考えが表現され、意識が生まれてくる。ニューロン集団の連合が生み出す複雑性こそが、我々の意識の究極の神経基盤なのだ。」というものだ。
しかし意識のかけらもない状態で、ニューロン集団の挙動によって意識が生まれるということではなく、「意識はこの宇宙を支配する究極の基本特性の一つであり、特に生命体に宿りやすいものだと私は考えている。」「最小単位のメカニズムに意識が宿っており、それ以上の物質的な基盤はないのだ。」と書かれている。

コッホのこの仮説を私は、意識の素となる小さなかけらがあちこちにあり、脳の中にある沢山のニューロンが連合して活動することによって、意識の素が集まって意識として働くということだと解釈している。

私も、ニューロン集団の挙動によって意識が生まれるというところまでは、そうだろうなと思っていた。
しかし、意識の素粒子みたいなものがあるというのは、考えてもみなかった。
物理的な物質も素粒子からできているということで、素粒子がどのように成り立っているのかはわかっていないのだから、心理的な意識も意識の素粒子(コッホの表現ではモナド)からできているというのもありうるのかもしれない。

コッホは、「意識がどのようなものであれ、それがどのように脳から生じてくるものであろうと、犬や鳥をはじめとするほぼすべての動物が意識を持っている」と書いているが、これは私も、そのように思っている。

さらにコッホは、「「脳でなければ意識を生みだせない」というわけではなく、「情報を生みだすようなシステムならば意識を生みだす」」ということにもふれている、電子回路も意識を持つ可能性があるということだ。
私は、この話には疑問符をいくつかつけてしまうが、全く否定するつもりもない。

他にも、意識を持たないゾンビのような人間の可能性などについても触れていて、私がこの本の内容を理解するには時間がかかりそうだ。

「フセンで考えるとうまくいく」を読んでみた(2018.9.19)

図書館で「フセンで考えるとうまくいく」という本を見つけたので読んでみた。
「フセン」とは付箋のことで、はがせる糊が裏についた赤や青、黄色などの紙のことだ。
第一考舎では「札」と呼んでいる。

内容は、共感するところが多い。
特にフセンのメリットについて
・モヤモヤした状態のままで始められる
・間違えて書いてもいい
・整理は後ですればいい
・ひとことでも書けばいい
・動かすことで気づきを得られる
などといったことは、札寄せ法と共通している。

第一考舎では、札寄せ法の基本的な手順だけを紹介しているが、この本では様々な応用手順が「フセン術」として紹介されている。

フセン術は、以下の様に5つのパートに分けられている。
1.頭と心をすっきりさせる(整理編)
2.本当の自分の思いを知る(発見編)
3.周りの人を味方につける(協力編)
4.自分らしいやり方を探す(計画編)
5.心のブレーキをはずす(行動編)

札寄せ法をやる上でも、参考になると感じた。

またやってしまった(2018.9.2)

「ふだメモ」を第2版にしたばかりなのに、2.01版を出すことになってしまった。
公開した第2版が正常に機能することを確認するために、自分でダウンロードしてみて、ウィンドウズとマックとリナックスで動作確認をしているときに、思いついてしまった。

それは、札を選択して札の枠線が点線になったときに起こる問題の解決策だ。
その問題は、札を選択したときに空白行が追加されてしまい、最後の方の文字が見えなくなってしまうことがあるということだ。
その問題があることは、前から認識していたが、解決策を思いついてなく、また自分で使っていても根本的な問題とは感じなかったので、棚上げにしていた。
そうなったら、普通に表示されるようにするには、「適寸」をクリックすれば良いだけだ。

第2版では、札・枠の分割と統合の機能を追加した。
この機能は、自分で使っていて非常に便利だと思ったので早く公開したかった。
だから、第2版を公開することに夢中になり、その問題を棚上げにしている事も忘れていた。

ところが第2版を公開してすぐに棚上げしていた問題の解決策を思いついてしまったのだ。
実際にやってみると、思いついた策だけでは充分には解決できず、追加策も必要だったが、解決できた。
もちろん、ウィンドウズとマック、リナックスで効果を確認し、さらに学校のウィンドウズでも確認した。
ここまでやったら、2.01版として公開するべきだと思った。
たとえ昨日公開して、また今日公開でも。

自分がもっと真剣に、取り組んでいれば第2版に盛込んで公開できたかもしれないという思いもあるが、いろいろな条件が揃うと解決策をいとも簡単に思いついてしまうことが妙に面白かった。

第2版をダウンロードして頂いた方には、大変申し訳なく思っています。

札寄せ用具の兄弟分「ふだメモ」(2018.5.19)

「札寄せ用具」について気になっている事が有った。
「札寄せ用具」はウィンドウズ用のエクセルがないと使えないと言うことだ。
エクセルでもマック用では使えない。

そんな時に、放送大学でJavaに接する機会が何度かあり、これで「札寄せ用具」のようなものを作ってみようと思った。

Javaで作れば、ウィンドウズでもマックでもリナックスでも使える。
Javaがインストールされていることを知らないでパソコンを使っている人も多いが、Javaは多くのPCにインストールされている。
入っていないパソコンでも,Javaは無料でインストールできる。

ということで、Javaで「札寄せ用具」に似たソフトを作り始めた。

放送大学の先生にプログラムについてのヒントを頂いたり、学友には試作版を試用して問題点を指摘して頂いているお蔭もあって、形になってきた。

もちろん「札寄せ」にも有効だが、パソコン上の「付箋のようなメモ」として気軽に利用出来ることも考慮したい。

そのためタッチパネルでも操作できるように左クリックだけで操作できるようにした。
文字の入力には、キーボードか画面に表示されるソフトキーボードが必要だが、それは仕方ないことだ。

名称も取っ付きやすく「ふだメモ」とした。

ところで、「札寄せ用具」はエクセルの図形を使っているので、エクセルのみならずワードやパワーポイントとも互いに図形をコピー貼り付けできる。これは、用途によっては非常に便利な機能だ。

しかし、「ふだメモ」で作った図形はエクセルの図形とは違ってコピペができない。それでも、それは問題ないと思う。
なぜならエクセルが入っていないパソコンでは、ワードやパワーポイントもないことが多いからだ。
もしワード、エクセルやパワーポイントに札・枠をコピーする必要がある用途なら、エクセルが入っているはずだから、「札寄せ用具」を使えばいいということだ。

「ふだメモ」と「札寄せ用具」のデータ互換も考えたが、さほど必要ではないだろうと言うことで、それには取り組んでいない。
札や枠に書かれた文字をテキストファイルを介して受け渡しすることは出来る。
札や枠に書かれた文字をテキストファイルにすることは、「札寄せ用具」も「ふだメモ」もできるし、「ふだメモ」はテキストファイルを読み取って「黄札」にすることが出来る。
「札寄せ用具」では、テキストファイルの内容をエクセルシートにコピーすれば、それを読み取って「黄札」にすることが出来る。

今は色々と使ってみて、使い物になるかを検討中だ。
この文章も、「ふだメモ」で細切れの文を組合わせてからテキストファイルにして作った。

しばらく使ってみて自信を持てたら公開したい。

感情に意識は必要か?(2017.12.24)

喜怒哀楽を表すことはロボットにもできるようになるだろうとは思うが、喜怒哀楽を表すことと、それを意識の中で感じることとは違う。

最近は、「悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのだ」といわれる。
そこには、「泣くという行為は無意識に作られていて、自分が泣いていることによって自分は悲しいのだと意識するのだ」という考え方があるからだ。
ベンジャミン・リベットによって実験で確認されているように、指を動かすときでも、「動かそう」と意識してから神経ネットワークが動き始めるのではなく、意識する前に、まず神経ネットワークが筋肉を動かす信号を出すのだそうだ。
その後、「動かそう」という意識が表れて、さらに遅れて実際に筋肉が動き出すのだそうだ。
泣くという場合も同じように、意識に伝わるのは後回しなのかもしれない。
だから、泣くことも含めて感情を表すのに意識はいらないのではないだろうか。

感情を処理しているのも神経ネットワークであろうと思われるが、認知情報を処理している神経ネットワークとは異なる系であろう。
感情系の神経ネットワークは、認知系の神経ネットワークとは独立に情報を処理して、その結果によってホルモンなどによって、認知系の神経ネットワークを部分的に活性化したり抑制したりしている。

ロボットの人工知能で、これを模擬するなら、認知系と感情系のネットワークをつくり、感情系のネットワークの結果によって、認知系ネットワークの特定のゲインを変化させたり、発火の閾値を上下させたりすることで可能になるかもしれない。

意識がなくても個性はある(2017.12.18)

もし大量生産で同じロボットを沢山作ったとしたら、それらは全く同じことを考え、同じ行動をするのだろうか?

多分そうではないだろう。

それらは、電源を入れられてから経験することが全く同じにならないから、その経験の違いによって少しづつ個性が現れるに違いない。

意識のない喜怒哀楽(2017.12.18)

嬉しいしい時に喜びを表現し、怒るべき時に怒りを表現し、悲しいときに悲しみを表現し、楽しいときに楽しさを表現する、つまり喜怒哀楽を表すことはロボットにもできるようになるだろう。

五感の感覚器を模擬するセンサーは作れるし、そこから入力した情報を基にして既に学習済みの情報を組合わせれば、今嬉しいのか、悲しいのかなどの喜怒哀楽を人工知能が判断することも可能になるだろう。
そして喜怒哀楽を表す表情をロボットが表すこともできるだろう。

つまり、冗談を言えば笑い、悲しい話を聞かせれば泣き出すロボットは作れるようになるのだろうと思う。
そのロボットは、様々な経験から学習することが出来るし、知能的に成長することもできるだろう。
未来の展望を抱くこともできるし、状況によっては危機感を抱くこともある。
好き嫌いの判別機能を持たせれば、特定の人に好意を持つかもしれない。

そのロボットと会話をしたら、私は目の前のロボットは意識を持っていると思ってしまうだろう。
もしかしたら、好意を抱くこともあるかもしれない。

しかし、そのロボットは、電源を切れば動かない物になってしまう。
そのロボットがやっている事は、センサから入力した情報と既に蓄積している情報を組合わせて処理し、アクチュエータによって動作することだ。

たぶん、そのロボットには意識はないのだろう。

意識は不思議(2017.11.25)

他人の意識は見えないし、他人に意識があることすら確かめようがない。
でも自分には当然のことのように意識がある。

意識があるから、このように思っているわけで、もし意識がなければどうなるのだろう?
デカルトが方法序説の中で、「我思うゆえに我あり」と書いているが、このような意識のことを言っているのかもしれない。

ところで、ヒトは、さまざま状況に応じて行動できている。
ヒトが行動するときは、時間的に余裕がなければ反射的に行動するが、時間があれば状況を認識し理解し、自分が取れる行動を思い出して、良さそうな行動をとっている。
そういった行動が取れるのは、脳に100億個以上の神経細胞があって、それらが繋がって信号をやり取りすることで、状況の認識、理解、学習、記憶、判断、行動ができるからだ。

考えているだけの時もあれば、手足を動かして実際に行動することもある。
しかし、これらの行動に「意識」は必要だろうか?

これらの行動は、近い将来にロボットでも出来るのではないだろうか。
人工知能がどんどん改良されており、既に囲碁の分野でも、ヒトより上手く考えるコンピュータがある。
当然、ほかの分野でも、状況の認識、理解、学習、記憶、判断は、ヒトよりも優れたコンピュータが出来ても不思議ではない。

身体的な面でも、宙返りも出来るヒト型ロボットが出来ていて、ヒトより優れている面もある。
また、ヒトの形ではない機械であっても、ヒトよりも強い力を出せたり、ヒトより繊細な動きが出来たり、ヒトが生きていられない環境で行動できるなどの優れた体を、人工知能が動かすなら、あらゆる動物よりも優れた機械が出来るのかもしれない。

しかし、これらの行動に「意識」は必要だろうか?
これらのロボットや人工知能は、「意識」を持っているのだろうか?

どう確かめればいいのだろう?

心理学で言う「心の理論」とは違う観点が必要だと思う。
「心の理論」は、他者が考えている事を推測する能力のことであって、理論というのは私にとってはシックリこない名称だ。
ある状況で、他者がどう考えているかを推測するのなら、人工知能にもできるようになるのではないだろうか。

しかし、これらの能力に「意識」は必要だろうか?

人間の思考と機械の思考 (2017.10.30)

人工知能AIが、人間の世界トップ棋士に勝つのが当たり前になっている今、あらためて人間の「思考」と「意識」について考えてみた。

現在のところ囲碁などの特定の分野に限れば、「思考」に関しては人工知能の方が人間を超えたと考えていいのだろう。
その他の分野でも、遅かれ早かれ人工知能の方が人間の「思考」を超える可能性は高い。

ここで人間の「思考」というのは、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、痛覚の五感で受け取る外部の情報を処理して、何らかの結論を出したり、行動を生みだすことだ。
このような「思考」は主に脳の神経回路で行っているが、その動作を電子回路とソフトウェアで実現することは、可能になるのではないだろうか。

例えば一つの神経細胞の動作は、沢山の入力の総和が一定レベルの閾値以上になると信号を出力し、その閾値はホルモンなどの影響で常に変化するというものだ。その動作は、デジタル論理回路でも、アナログのオペアンプとコンパレータの組合せでも、あるいはソフトウェアでも実現可能だ。

人間の脳には百億〜二百億個の神経細胞があると言われているので、その数だけの論理演算をするように人工的に作ることが出来れば、人間と同じように「思考」する機械が出来るかもしれない。

・・・・・ いやしかし、一つの神経細胞は数千から一万と言われる他の神経細胞からの信号を受け取っていると言うことなので、そのネットワークは膨大なものだ。

どの神経細胞の信号をどの神経細胞につなぐのかというネットワークの設計をしなければならないことを考えると、これは大変なことだと気づいた。

人間の場合は、脳内の神経細胞のネットワークを遺伝子情報と、成長過程で得る経験によって作り上げているのであり、その不思議さと素晴らしさには感服せざるを得ない。